平成21年・バックナンバー

平成21年1月
「身語正教学」講義[6]


テキスト『身語正教学』は、宗祖覚恵上人が身語正教主「根本大悲の親(すなわちご本尊中山不動尊)」から直々授かられた「み教え」と「ご信心」がどのようなものであったかを、体系的に明らかにしようとするものです。テキストを傍(かたわら)に、共々学びましょう。 学びの森

ご先祖供養や廻向の原点は、ご先祖様への感謝の気持ちから
前回は、「親を喜ばせること」について考えてみました。今回は、「ご先祖様を喜ばせること」について考えてみることにいたします。
まず「ご先祖様」については、『身語正教学』においては、次の様に考えています。
仏教という信心では、わたしたちが何かを考えていこうとする時、その原点となるのは、「今」「ここに」あるすべて、すなわち「あるがまま」を「あるがままに」捉(とら)えたところにおくとします。
今、わたしは「ここに」生きています。では、なぜわたしは今、ここに生きているのでしょうか。それはわたしに「両親」があって、その両親からこの「いのち」を授かったからです。では、その両親は、どうしてそこに生きていたのでしょうか。それは、その両親のそれぞれに両親があったからです。

実は、仏教ではこのような「つながり」は、無限にさかのぼることが可能だとされ、その最初の出発点はどこにあり、それがどのようなものであったかを明言することはありません。ここが唯一絶対の創造神を立てるキリスト教のような宗教と仏教との根本的な違いの一つです。
仏教では、今、ここに生きているわたしを起点として、わたしが生まれてくるためになくてはならなかった無数の「両親」を全てひっくるめて「ご先祖様」といいます。そのため、わたしの血につながるご先祖様は無数におられるとするのです。

では、その「つながり」とはいかなるものでしょうか。「いのち」は生きた「いのち」だけが次の「いのち」を生み出すことができるのであって、連綿とした「いのち」のつながりは、たった一度の断絶もあり得ません。そして、その「いのち」のつながりは、次の「いのち」を愛(いつく)しみ、大切に育(はぐく)まねば、更に次の「いのち」を生み育てることができません。そこには、とても大きな慈愛が溢(あふ)れているのです。こうしたことから、わたしたちは、今、ここに、こうして生きておれるという事実を通して、無数のご先祖様の慈愛に包まれ、育まれた大切な「いのち」それがわたし自身の「いのち」なのだと確信させていただくのです。
こうした「いのち」の不思議さ、尊さ、かけがえのなさにわたしたちの思いが巡らされる時、心底からの「ご先祖様」への感謝が湧き上がってきます。この喜びを、わたしたちの「ご先祖様」に対する思いとしなくてはなりません。そして、この思いを「ご先祖様」への報恩感謝の原動力にしていこうとするのが、中山身語正宗の「ご先祖」供養や廻向なのです。

すなわち、本宗において「ご先祖様を喜ばせること」とは、わたし自身がご先祖様に感謝する気持ちをしっかりと持たせていただくことから始まる、とさせていただくのです。
わたしたちにとって「ご先祖様」とは、まず何よりも「敬(うやま)う(これが供養ということばの原意です)」べきものであり、その敬いの気持ちをご先祖様にお伝えしたい(これが廻向、すなわちわたしの真心、わたしの積ませていただける報恩行としての功徳をご先祖様にお届けしようとすること)として行われるべきものだと確信させていただくのです。

こすもす 294号より


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