平成20年・バックナンバー

平成20年12月
「身語正教学」講義[5]


テキスト『身語正教学』は、宗祖覚恵上人が身語正教主「根本大悲の親(すなわちご本尊中山不動尊)」から直々授かられた「み教え」と「ご信心」がどのようなものであったかを、体系的に明らかにしようとするものです。テキストを傍(かたわら)に、共々学びましょう。 学びの森

「親をよろこばせること」、その具体的な実践とは
中山身語正宗の信心において、「慈(他者に利益や安楽を与えるいつくしみ)の実践」の一つに挙げられる「親をよろこばせること」とは、具体的には、どういうことでしょうか。ご一緒に考えてみましょう。
本宗の信心をするわたしたちにとって、「親」ということばからは、
@「み仏」という親
A「親仏」という親
B「両親」という親
の三つが必ず連想されます。

本宗において、「み仏」という親は、身語正教主「根本大悲の親」、ご本尊中山不動尊を筆頭に諸仏、諸菩薩、明王、天や諸々の神々まで含めて「親様」とお呼びさせていただく方々のすべてを指します。「宗祖の親」もまさしくそのお一人です。次に「親仏」という親はわたしたちを直接指導して下さる「ご法の親(師僧)」のことをいいます。「両親」という親は、生みの親、育ての親に当たる肉身の親のことです。
では、こうした「親」をよろこばせるには、わたしたちは一体どうしたらいいのでしょうか。
「親」が子供であるわたしたちを育ててくださる時は、必ず「願い」をかけてくださいます。ですからわたしたちは、その「願い」に応えられるように努めねばなりません。また「親」に対して敬(うやま)いと真心をもってお仕えする姿も大切です。わたしたちの心に、こうした思いがしっかりとあったなら、必ず次のような行為が生まれ出てくるに違いありません。すなわち、

「親」がこのわたしにかけて下さる「願い」を、しっかりと理解しようとします。「み仏」という親はこのわたしが「仏のような」人間へと成長することを願って下さり、「親仏」という親は、み仏の目に叶ったわたしになれるよう精一杯お手伝いしようとして下さいます。そして「両親」という親は、わたしたちが立派に一人立ちできる成人となって世のお役に立てるよう願っていただくのです。
こうした「親」を敬うという行いは、まずは敬いの気持ちを物に託して贈り、敬いの気持ちを態度で表すということから始まります。

そして「親」に真心から仕えるという行いは、「親」がこのわたしに今求めておられる行いを素直にしてさしあげるという行いとして現れてくるはずです。
「親」は、子供が親に心配をかけまいと努力する姿を一番よろこんで下さいます。けれども、子供が完全に親に心配をかけることなくやっていけるということは、ほとんどありません。そのため、「親」はいつも子供が親を思う気持ちをよろこんで下さると同時に、それ以上の思いを持って「子供」をいつくしんで下さるのです。こうした「親」の子を思う思いを、本宗の信心においては、「願わずとも叶えていただける」といっているのです。
子が親を思う思いよりも、親が子を思う思いの方がはるかに深いものだ、といわれるのはこのことです。
すなわち、本宗の信心において、「親をよろこばせる」という思いをもって努める者は、限りのない親の大慈、大悲をいただいて心底からよろこばせていただける者になるという確信につながっていくのです。

こすもす 293号より


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