平成20年・バックナンバー

平成20年11月
「身語正教学」講義[4]


テキスト『身語正教学』は、宗祖覚恵上人が身語正教主「根本大悲の親(すなわちご本尊中山不動尊)」から直々授かられた「み教え」と「ご信心」がどのようなものであったかを、体系的に明らかにしようとするものです。テキストを傍(かたわら)に、共々学びましょう。 学びの森

法の後継者覚照猊下に対し、宗祖がまず説かれた「慈・悲」行の実践
宗祖上人は、「身語正」という仏教の信心(法門)のすべてをみ仏から授かってこられました。そして、「身語正」という仏教の信心(法門)を本当にこの世に根付かせるためには、このご法が正(ただ)しく「人から人へ」と受け継がれていかねばならないことを確信されました。そのため宗祖上人は、ご法の後継者たる覚照猊下(身語正第二世)に、心血を注いでご法を伝えていかれたのです。

では、宗祖上人は「どのように」それを覚照猊下に伝えていかれたのでしょうか。こんなエピソードが残っています。
昭和8年3月、高野山大学を優秀な成績で卒業された覚照猊下が帰郷されたその日、宗祖上人は覚照猊下に、次のように尋ねられました。
「人としてこの世に生まれて、何をすることが一番善いことか。何をすることが一番悪いことか」
と。その時、覚照猊下は宗祖の求めに叶(かな)うであろう答えをどうしても見つけられなかったのです。すると宗祖上人は、
「わたしは、仏様からこう教えていただいているが、それが正しいか否(いな)かだけ答えてくれ。人としてこの世に生まれて、何をすることが一番善いことか。一番悪いことか。それは、親を、ご先祖様を、世の人々を喜ばせること。これが一番善いこと。親を、ご先祖様を、世の人々を泣かせること。これが一番悪いことだ」 と。こういわれた時、覚照猊下はそれが『あまりにも当たり前であると同時に正(まさ)しくこれ以上の答えは無い』ことを確信されたのです。

宗祖上人は、覚照猊下が心底から得心されたご様子を見透(みすか)されたかのように、更にこのようにいわれたのです。
「覚照、これからのお前に最も大切なことは、信を仏において、ただひたすらみ仏にすがりぬき、〈おじひ〉のままに生きることだ。そのためにも、これから七年間大学で学んだことは全て忘れ、ただ仏様のいわれるままに〈ハイ〉といってすすんでくれ」
と。覚照猊下は、宗祖上人のこのお諭(さと)しを忠実に実行されたのです。
このエピソードに出てくる「人としてこの世に生まれて何をすることが一番善いことか」と示された内容こそ、仏教に説かれる「慈」の内容そのものだったのです。そして、宗祖上人が覚照猊下に示された「信を仏においてただひたすらみ仏にすがりぬき、〈おじひ〉のままに行じる」姿こそ、「身語正」という仏教の信心における「悲」の実践を行う者の姿そのものだったのです。
宗祖上人は、覚照猊下に「身語正」という仏教の信心(法門)のあるべき姿を伝えるため、まず最初に「慈・悲」行の実践を説かれたということは、大変興味深い事実であったと思わずにはおれません。

この事実は、「身語正」という仏教の信心(法門)が、理論や理屈に重点を置く信心ではなく、具体的な宗教的実践を通して、み仏のこころを自分のものにしていこうとする実践の宗教であることを示しています。
身語正教主「根本大悲の親(すなわちご本尊中山不動尊)」がわたしたちを「身語正行者」と呼んで下さる理由も、実は本宗のこうした性格に基づいたものだったのです。

こすもす 292号より


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