平成20年・バックナンバー

平成20年7月
講座「身語正教学」[12]


身語正の信心の根底にある「理念」を明示していただく中山身語正宗の根本所依の聖典が『御座文』です。では、この『御座文』には、一体どのようなことが説かれているのでしょうか。今回のシリーズの最終回に当たって、その概要をお話させていただきたいと思います。 学びの森

『御座文』の根底に流れるみ仏のみこころとは
宗祖覚恵上人が身語正教主「根本大悲の親(中山不動尊)」より本宗の根本所依(しょえ)の聖典となる『御座文(おざもん)』を直々に授かられたのは、明治26年12月のある日、坊住山頂でのことです。その時の様子については、『宗祖上人伝』の53ページ以下に詳しく述べられています。
宗祖上人が授かられた『御座文』は、当初ことばとして授かられ、片仮名書きで表記されるようになりました。そして、いつの頃か明確ではありませんが、ご生前の宗祖上人にそれを漢字混じりの現在のような表記にする許しを受けられた、ある同行によって現在の形に表記されることになったといいます。 『御座文』の根底に流れるみ仏のみこころは「ナムアミダブツ」と至心に「頼む一念」のまことをもってみ仏にすがりつこうとする全ての「念仏衆生をことごとくみ仏が摂取(せっしゅ)して下さって、たった一人といえども捨てることはない」と明言して下さるところにあります。
覚照猊下は、このみ仏のお働きを「広大無辺(こうだいむへん)なみ仏の大加被力(だいかひりき)」と表言されています。

では、そうしたことがなぜ可能なのかというと、それはみ仏の広大な「他力(み仏のお働き)」とわたしたちの「頼む一念」に徹したまことに基づく「自力」とが一つになって(合力(ごうりき)という)わたしたちの上にさまざまな体験として現れ出てくるからだ、というのです。この「自他合力」という考え方の中に、実は本宗独自の宗教的実践と宗教的体験とが集約されていきます。すなわち、〈おじひ〉と「お行」とがそれです。
〈おじひ〉を求め、〈おじひ〉のままに行じる身語正の信心は、そうした日々の行願の中からさまざまな「気づき」を体験させていただく信心でもあります。その気づきは、大きく分けると二つになります。すなわち「自らの成長」のための気づきと、他の人々に心を向け、周りの人々を大切にしていけることこそ、人間として最もうれしいことであるという「他への働きかけ」という気づきです。これを仏教的には「自利」と「利他」といっています。

また仏教における「自利」には、必ず「智慧」に通ずるものが生まれてこなくてはなりませんし「利他」には「慈・悲」の心と実践とが伴わなくてはなりません。 こう考えてくると、中山身語正宗の根本聖典である『御座文』は、大乗仏教と呼ばれる、主に北方に伝幡(でんぱ)され、今日「日本仏教」の主流となっている仏教の骨格をなすものを、しっかりと踏まえた仏教であることを改めて確信させていただくのです。
身語正教主「根本大悲の親(中山不動尊)」によって、本宗の信心は必ずいつの日にか「世界宗教」の一つとして広く世界中の人々によって日夜実践されることになると明言されています。それを現実のこととなし遂げるためには、この信心にご縁を結ばせていただいた「わたしたち一人ひとり」の心の中に信念としてその思いが確立され、それに基づく行動、活動が着実に展開されていかねばなりません。
21世紀に入り、間もなく「立教百周年」を迎えることになる本宗の使命は、まさしくここにあります。

こすもす 276号より


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