平成20年・バックナンバー

平成20年6月
講座「身語正教学」[11]


身語正の信心は、実際にどのようなものであり、それをどのように日々実践していけばいいのか。その具体的な姿までみ仏は説き明して下さっています。それを宗祖から授かられた覚照猊下がまとめられたのが『おさづけ』だったのです。 学びの森

『おさづけ』は全宗人の「あるべき姿」、みちしるべ
『おさづけ』は、中山身語正宗の信心をしようとするわたしたちにとって、信心の「みちしるべ」となるものです。
中山身語正宗の信心は、身語正教主「根本大悲の親(中山不動尊)」から、その立教を託された宗祖覚恵上人によって持ち出されました。
しかし、わたしたちは、こう確信させていただいています。み仏より立教を託された宗祖上人は、それをご自分の「知恵」と「力」によって行われたのではなかった、と。そうではなく、その信心の実際のあり方もまた、宗祖上人はみ仏から授けていただくままに「実践、実行」されたのだ、と。
この確信は、身語正第二世覚照猊下にも、一寸の狂いもなく受け継がれていきました。それ故、宗祖上人は、昭和17年1月5日寂を示される直前、覚照猊下に対して
「身語正のすべては、お前に授け終った……」
といわれたのです。

太平洋戦争が終って、日本はそれまでの日本と180度転回し、新生「日本」となりました。厳しい統制の下に置かれていた日本の宗教界も「信教の自由」が謳歌(おうか)されることになり、立教以来の念願であった「身語正は、立教以来身語正であった」という信念を、文字通り形にすることのできる時代を迎えた時、覚照猊下が最初にされた仕事の一つが、この『おさづけ』の成文化だったのです。なぜなら、身語正教主「根本大悲の親(中山不動尊)」が宗祖上人に直々授けられ、また宗祖上人から覚照猊下に直々に伝えられた身語正の信心の「実践の仕方(みちしるべ)」を、正しく開示しておかねばならないと覚照猊下が確信されたからです。
『おさづけ』は、身語正の信心の「あるべき姿」そのものであり、いつの時代、いかなる国の人々であっても、この身語正の信心を「正しく」行じようとする限り、必ずその信心の「みちしるべ」とせねばならないことが、実にみごとにまとめられたものだったのです。

では、『おさづけ』を貫く根本理念とはなにかというと、まず第一に「信ヲ仏ニオク」信心をせよ、ということです。そして、それを形としては「ご成就」を授かることで示すのだとされます。次に、身語正の信心の「いのち」ともいわれる〈おじひ〉を、常に生きたものとして受けとる上で、本宗の「親仏・子仏」のつながりを大切にせよ、ということです。その上で第三には、信心する者の人としての良き習慣である「戒」を身につけ、本宗の信心をする者の大切な心構えである謙虚さ、素直さのある実行力の大切さが説かれます。そして最後に「信」と「行」とが一如となった信心をし、すべての物事に感謝を持って報恩行の尽くせる身語正行者になって欲しいと求められるのです。こうした信心が本当にできるようになったら、わたしたちは、その日々の行願の中から必ずや「仏道成就」へと真剣に向かっていける真の「菩薩」となれるはずだといっていただくのです。
『おさづけ』から確信させていただくみ仏の「わたしたち一人ひとりにかけて下さる願い」をみごとに受けとめることこそ、最も大切です。

こすもす 275号より


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