平成20年・バックナンバー

平成20年4月
講座「身語正教学」[9]


中山身語正宗における入信儀礼である「ご成就」には、一体どのような意味があるのでしょうか。その意味を正しく学ばせていただき「ご成就」をいただく大切さに改めて気づくことは、実は「身語正行者」として、正しい日々の行願を自覚していく上でなくてはならないものです。そんな「ご成就」の意味を考えてみましょう。 学びの森

み仏は「いのち」の生き方を確信させて下さる偉大な教師
前回、中山身語正宗の信心は、信を仏に置き、仏に向かって行ずる信心であることをお話しました。
では、わたしたちは、中山身語正宗の信心において、どの様にみ仏とご縁を結んでいただき、どの様にお導きいただくのでしょうか。
本宗においては「み仏(身語正教主根本大悲の親、すなわち中山不動尊)」から結んでいただくご縁を「ご成就」といい、そのご縁は「現当二世のご縁結び」だといいます。そして、そのご縁結びは、み仏がこのわたしたち一人ひとりの「あるべき道」を、わたしたち一人ひとりに確かに歩ませ、成就させてやりたいと願っていただくが故のご縁結びなのだと確信させていただきます。

人間を含めたすべての「もの」は、あるべくして在(あ)り、あらねばならないから在るのであって、この世の中にあるたった一つも、無駄に無益に在ることはない。わたしたちは、そう確信させていただいています。
そして、この世に「ある」ものの中で、人間だけが「自分の在るべきすがた」を問いかけ、それを自分で創り出し「いかに生きるか」を実現していける存在なのだと確信させていただくのです。そのため、人間は絶えず「それを問い」「それを試行し」確かなる確信に基づいた生き方を実現しようとします。
み仏とは、人間のそうした動きに確かな答えを与えて下さるお方なのだ、といいます。そして、人間のこうした試みが「現在世(げんざいせ)」だけで完成できないとしても、必ず「当来世(とうらいせ)」においてもその追求と具現への活動は継続すると確信させていただくのです。「ご成就」における「現当二世(現在世から当来世に至るまでの二つの時間的世界)」に確かなお導きをして下さるというみ仏のお約束(ご縁結び)は、わたしたちに大きな希望をもたらしてくれます。

仏教における「み仏」とは、真理の体現者であり、一切衆生(すなわち、真理の何たるかに目が開かず、自分の生きるべき〈いのち〉を本当に輝かせる生き方を確信できないわたしたち人間)一人ひとりに、自らの「いのち」の生き方を正しく確信させて下さる偉大な教師なのです。
仏教における「み仏」は、み仏のお導きに真剣に応えていこうとしない人間に対して、何らかの利益(りえき)をただ与えたりされることはありません。
たとえば、中山身語正宗の信心において「〈おじひ〉ならば、必ずそうなる」といわれるのは、わたしたち一人ひとりが〈おじひ〉で授かったことを、〈おじひ〉のままに真剣に行じさせていただくからこそ、そう「なる」のであって、ただ、漫然(まんぜん)としていて、〈おじひ〉のままに生きる努力を放棄している時には、決してそう「なる」ものではないのです。

中山身語正宗において「できるからこそ授けていただけるのだ」という〈おじひ〉の捉え方には、実はこうした確信があったのです。
み仏から「ご縁結び」をしていただき、それ以降はみ仏からわたしたち一人ひとりが「あるべき道」を正しく導いていただけると確信させていただける「ご成就」のご縁は、そういう意味を持つが故に、必ず授かっておかねばならない「ご縁」だったのです。

こすもす 273号より


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