平成20年・バックナンバー

平成20年1月
講座「身語正教学」[6]

ではいよいよ「立教宣言」の中に説き明かされていた身語正教学の体系とは、どのようなものであったのかについてお話を始めることにしましょう。この「身語正」の教えと信心とは、仏教の2500年にわたる歴史の中で「今(大正元年)」初めて説き明かされることになったのですが、その「理由」とは、何だったのでしょうか。 学びの森


「釈迦、弘法大師、法然・親鸞に生まれおくれ…」と示された理由
宗祖覚恵上人は、身語正教主「根本大悲の親」より「身語正」の立教とその布教とを託された時、その使命のあまりの大きさに
「智もなく学もなく財もない、そんなわたしにどうしてできましょう」といって、み仏にお断わりをされたのです。その時、み仏は
「そうではないのだ。釈迦におくれ、弘法大師に又おくれ、法然親鸞に又おくれ…」
といって、今のわたしたちが「生まれおくれた」存在であることを示して下さっています。

ではここでみ仏がいわれる「生まれおくれ」とは、一体どういうことだったのでしょうか。
仏教の歴史は、およそ2500年あります。そして、この仏教を開かれたのは古代インド世界にお生まれになられた釈尊(大乗仏教では釈迦如来と呼ばれています)です。
その後仏教の教えは、祖師・高僧と呼ばれる多くの方々によって「その時代時代に、あるいはその地域の人々」に最も理解しやすく、実践しやすいようにと工夫に工夫を重ねられて、実に多彩に説き明かされることになったのです。その結果、仏教には多くの「教学」が体系化されることになりました。アビダルマ仏教、大乗仏教(この中には、中観(ちゅうがん)思想、唯識(ゆいしき)思想、如来蔵(にょらいぞう)思想、あるいは特定の経典に基づく華厳(けごん)思想、法華(ほっけ)思想など多数があります)、浄土仏教、密教などがそれです。これらの「教学」体系は、それぞれに実に勝れた思想体系であると同時に宗教的実践体系であることは、何の疑問もありません。しかるに、宗祖上人に「身語正」の立教を託されたみ仏は、これらの「教学」体系が、今「身語正」という教えと信心とを必要とするであろうわたしたちにとっては、なかなかに近寄り難いものであると指摘されたのです。

では、それらの「教学」体系は、今のわたしたちにとって「どのように」近寄り難いというのでしょうか。そこで、それらを明らかにするためにみ仏は宗祖上人に「釈迦」「弘法大師」「法然・親鸞」という名前を挙げて、その方々が説き明かされた教学の体系と実践とを学ぶように指示されたのです。 では「釈迦」という名で指し示される教学の体系や信心の実践とは何でしょうか。『身語正教学』においては、それは「原始仏教・アビダルマ仏教」という呼び方で指し示される今日の「南方仏教」を想定しています。また大乗仏典の教主として登場する「釈迦如来」によって説き明かされるさまざまの大乗の「教学」体系をも指し示しています。

次に「弘法大師」という名によって示される教学の体系は「真言密教」として知られる密教の教学体系を、「法然・親鸞」の名によって指示される教学の体系は「浄土仏教」であると考えています。
仏教の教学の歴史を本当に大雑把(おおざっぱ)に分類しようとすると、実は今ここにあげた四つの教学体系が極めて特徴をもった体系として浮上してくることが明白に理解されます。そこで「立教の日の〈おじひ〉」のおことばにあるこの部分は「身語正的な仏教史(特に教学史)に対する見方を表わすもの」とされたのです。

こすもす 270号より


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