平成19年・バックナンバー

平成19年8月
講座「身語正教学」[1]

身語正教学の体系が一応まとまり、平成15年1月小冊子『身語正教学』として出版され、今後本宗内での各種研修会において教科書として活用されることになりました。そこで「学びの森」の当欄で、この『身語正教学』という小冊子を学ぶための補助的なお話を、当面1年間を目当(めど)にして連載させていただくことになりました。お手元にこの小冊子をお持ちの方は、それを参照しながらお読み下さい。 学びの森


本宗の教えを体系的にまとめた『身語正教学』完成
 『身語正教学』とは、中山身語正宗という信心の根幹をなす「教え(教義)」を体系的にまとめたものです。
 わたしたちは「身語正は、立教当初から身語正であった」と確信してきました。しかし、実際には中山身語正宗は立教当初「中山身語正宗」として一宗を立ててその活動を始めることはできませんでした。身語正が立教された当時(大正元年)日本の仏教各宗は、公認された宗派と公認されることのなかったグループに判然と分けられたため、非公認とされたグループの多くは、公認された宗派の傘下(さんか)にその寄り拠(どころ)を見つけようとしたのです。

 宗祖覚恵上人に「身語正」の立教を託された身語正教主「根本大悲の親」は、宗祖上人に高野山に登って出家得度の道を開き、その傘下での身語正の弘法教化(ぐほうきょうけ)(身語正の教えを弘(ひろ)め、人々を済度し教え導くこと)の道を進むよう指示されたのです。その結果、宗祖上人は最善の理解者となって下さる津田実英師との出逢いをいただかれ、高野山真言宗の傘下にありつつ、着実に身語正の教えを弘めていかれたのです。
 しかし間もなく宗祖上人の弘法教化に異議を唱える方々が現れ、順風満帆(じゅんぷうまんぱん)に見えた教勢の拡大に大きな壁がたち現れたのです。するとみ仏は、次に「東大寺へ行け」と示され、華厳宗(けごんしゅう)の傘下にも入って新たな道を開くように示されたのです。こうして高野山真言宗「瀧光徳寺」と華厳宗「大日教会」とが同居する時代が訪れたのです。
 しかるに昭和20年8月15日の敗戦は、明治以降70年余続いてきた近代日本社会を一変させる契機となり、宗教制度面では「信教の自由」の名のもとに、いかなる宗教も原則として自由に布教・教化できる時代へと移っていったのです。

 身語正第二世を継承された覚照猊下は、この新しい時代こそ、真に宗祖上人の願いの具現できる時と捉(とら)えられ、昭和20年12月に発布された「宗教法人令」に従って「中山身語正宗」の立宗を申請され、昭和21年6月27日その認可を受けられたのです。
 「身語正は、立教当初から身語正であった」という本宗の根本理念を今こそ「形」に仕上げねばならない。身語正第二世覚照猊下は、この使命を一身に担(にな)って、多事多難の日々をひたすら前進されたのです。
 『身語正教学』は、宗祖覚恵上人が授かられたものを基礎として、それを身語正第二世覚照猊下が体系的にまとめられ、それを改めて今日成文化することによって一応のまとめが完了しました。

 わたしたちは、これからの『身語正教学』を体系的に理解することに努め、その上でそれぞれの体験と智慧(ちえ)とを結集して、より精緻(せいち)なものに組み上げ、身語正教主「根本大悲の親」が宗祖上人に託して持ち出そうとされた「身語正道」のすべてを明らかにし、全宗人一人ひとりがそれを「わがこと」として実践していく宗団づくりを実現していかなければなりません。この講座は、こうした目的に向かって進もうとする全宗人に何らかの示唆(しさ)を与えられるものになれれば幸いです。

こすもす 265号より


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