平成19年・バックナンバー

平成19年7月
あなたが、あなたの「いのち」を生きること [12]

〈あなたが、あなたの「いのち」を生きること〉というテーマを立てて考えてきた今回のシリーズを締めくくるべき今回、「無分別」の心と「慈」「悲」心や「慈」「悲」の実践とのつながりを味わい直すことでまとめてみたいと思っております。 学びの森


「慈」と「悲」の実践者となり、「真の菩薩」に成長しよう
 仏教において最も理想的な生き方とされる「執(とら)われのない」生き方を生み出してくれる「やわらかな心(ものの見方、考え方)」は、仏教が発見した真理観に基づく「無分別」の心から生まれてくることは、前回お話した通りです。
 わたしたちは、今回のこのシリーズを、〈あなたが、あなたの「いのち」を生きること〉というテーマのもとに進めてきました。そしてわたしが、わたしの「いのち」を本当に生ききるためには、実は「ありのまま」を「ありのまま」に見ることのできる仏教の叡智(えいち)である「無分別」という心(ものの見方、考え方)が必要なことに思い到ったのです。
 では、「執われのない」生き方、「やわらかな心」で生きられるわたしの「いのち」の生き方とは、具体的には、一体どのような生き方になっていくのでしょうか。

 一人の人間が本当に生ききれる「いのち」は、今という時間に、わたしが生きて立っている「足下(あしもと)」という場所でしかありません。ですからわたしたちは、「今」「足下」で自分は何をしていけるのかを問う他はなく、そこでできることをする以外にはないのです。ですから、仏教では、「今」と「足下」を最も大切にすることになります。  では、そこでわたしは何をするのか。その時、最も大事なことは、「やわらかな心」で「ありのまま」を「ありのまま」見て、自分が「今」第一とすべきことは何かと判断するか、このわたしの心から生まれてくる叫びなのです。仏教では、その叫びが「慈」「悲」心から生まれるものであれ、といいます。そして「慈」「悲」心に基づく「慈」「悲」行であれ、というのです。そして、わたしたちが「今」「足下」で、「慈」「悲」心に溢れた「慈」「悲」の実践者になりきれた時、その人を「真(まこと)の菩薩」と呼んでいただくのです。

 中山身語正宗という信心を持ち出して下さったみ仏は、わたしたちがそんな「真の菩薩」になれるような「今」「足下」で実践を積み重ねる「身語正行者」として、このわたしを見て下さるのです。  ですから、中山身語正宗という信心に生きるわたしたちは、わたしの「いのち」を如何(いか)に生きるべきかというと、身語正行者として「慈」「悲」心に溢れた「慈」「悲」の実践者として生きていけ、ということなのです。

 中山身語正宗の信心の実践者である身語正行者は、「執われのない」「やわらかな心」をもった、真に仏教的な人間であってほしいとみ仏から望まれている人間だったのです。わたしたちは、そんな人間になろうとして、「仏一つを目当てにし」仏に向かって行く人になるため、日々の行願に励まさせていただきます。そして、その行願を一つ、またひとつと着実に積み上げていくことで、自分の心を更に磨いて、自分の心を執われのない、やわらかな心へと一歩一歩近づけていこうとするのです。そして、真(しん)に「慈」「悲」の実践者となり、「真の菩薩」としてみ仏にしっかりと迎え入れていただけるような自分になろうとしているのです。  こんなわたしたちの目標を、本シリーズをもう一度読み直すことで味わい直していただければ幸いです。

こすもす 288号より


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