平成19年・バックナンバー

平成19年3月
あなたが、あなたの「いのち」を生きること [8]

 「慈」「悲」心は、すべての人が生来のものとして持っている、と仏教ではいいます。では、わたしたちは、わたしの「いのち」を最良のものとして生きるために、その「慈」「悲」心からどのような「慈」「悲」行を育てあげていけばいいのでしょうか。


 「親、ご先祖様、世の人々を喜ばせる」生き方(慈の実践)
 「慈」とは、相手によろこびを与えようとする心であり、行いであるといいます。そして、「身語正」という仏教の信心においては、そのよろこびを与えるべき相手とは、「親、ご先祖様、世の(すべての)人々」なのだと考えています。
 「親」とは、子を育てる人のことですから、その「親」をよろこばせる人とは、「親」に育てられている子のことでなくてはなりません。
 身語正第二世覚照猊下は、生涯にわたって「親を持つ身の幸せ」を説き続けられました。育ててもらえるこの身を喜びきれるなら、その人は必ず親がこの身に託して下さる願いに応えようとするはずです。そして親の願いにわたしが十分応えきれた時、親は「子」を育てたよろこびを十二分に味わって下さるに違いありません。〈おじひ〉とは、み仏という親が「わが児(こ)」と呼んで下さるわたしたちに託された願いでもありました。だからこそ宗祖上人は、「身語正」という仏教の信心をさせていただくわたしたちの最良の姿を、〈おじひ〉のままに生きることと教えて下さったのです。ですから、親の願いに応えさせていただこうという気持ちこそ、わたしたちにとって最も大切なものなのです。

 わたしたち一人ひとりの「いのち」というものは、実に多くのご先祖様の「いのち」を通してわたしたちに授けていただいたものです。では、このご先祖様のことをもう少し詳しく考えてみますと、次のようなことが判ってきます。
 世に「子の無い親はあっても、親の無い子はいない」といいます。ですから、今ここに「いのち」を授かっているわたしには、わたしに連なる無数のご先祖様がいることは、しっかりと理解できますが、子を産み育てられなかった方に連なるご先祖様は、直接自分達を敬(うやま)い尊(とうと)んでくれる子孫を持ってはいないことになります。この事実は、ご先祖様をよろこばせることの大切さを説こうとする「身語正」という仏教の信心においては、とても大事な点です。なぜなら、「身語正」という仏教の信心においては、自分の「いのち」に連なるご先祖様だけをよろこばせる廻向、供養をすればいいとはしないからです。実は「いのち」とはもっと煩雑(はんざつ)、広範にからみ合っているのだから、「すべての過去世のいのちを有縁、無縁のご先祖様」としてよろこばせることが大事と説かれるのです。

 「世の人々」とは、わたしたちと同世代にこの地球上に生きている全ての人々という意味です。仏教における正しいものの見方、考え方とは「縁起の道理」を踏まえたものでなくてはなりません。そして、縁起の道理を正しく踏まえると、「この世界に存在するものは、一つとして無駄なものはなく」、「すべてのものは、互いに緊密につながり合っているので、何一つおろそかにしてはならない」というものの見方、考え方をせずにはおれなくなります。その結果、わたしたちは、この世のすべてのものに「あたたかな眼差し」を向けて振る舞える「心優しい人間」になることこそ、「世の人々をよろこばせる」ことのできる人なのだと確信させていただくのです。こんな生き方が「慈」の実践者なのです。  

こすもす 284号より


学びの森・バックナンバーはこちら

サイトマップ ページトップへ

Copyright 中山身語正宗 All Rights Reserved.