学びの森バックナンバー
平成19年・バックナンバー

平成19年2月
あなたが、あなたの「いのち」を生きること [7]

 あなたが、あなたの〈いのち〉を仏様のみこころに沿ったものに仕上げるということは、一体どういうことなのでしょうか。今回は、中山身語正宗においてそれをどのように考えていったらいいのか、について考えてみることにしたいと思います。


 「慈」と「悲」の実践こそ、み仏のみこころに沿った生き方
 仏教における「仏(ブッダ・すなわち目覚めた人)」は、仏教的な正しいものの見方、考え方である「宇宙の根本」としての「真理(法・ダルマ)」に基づいて、すべての人々に「慈(すべての人々をよろこばせることのできる行い)」と「悲(苦しみ、悩む人々のその苦しみ、悩みに深く共感してあげ、その苦しみ、悩みをなんとかしてあげたいと思ってする行い)」の実践者であって欲しいと願われます。ですから、わたしたちが「仏様のこころに沿った生き方をしよう」と思うなら、わたしたち自身が「慈」と「悲」との実践者となっていかねばなりません。

 中山身語正宗では、こうした仏教の最も大切にしようとする実践を、「人としてこの世に生まれて、何をすることが一番よいことか(すなわち、慈の実践とは何か)」という形で、あるいは「身語正の教え主であるみ仏は、ご自分がすべての衆生に対して最もしてあげたいこととして苦しみ、悩むものの心からその苦しみ、悩みを取り除いてやりたい。(すなわち悲の実践とは何か)」といって下さるそんな形で示して下さっています。
 では、中山身語正宗の信心をするわたしたちは、み仏のいわれる「慈」と「悲」との実践者となっていくために、どのようなことを大切にすべきなのでしょうか。

 「慈」の実践をしていくために最も大切なことは、相手を「思いやる」心を深くすることです。相手の人に本当によろこんでいただくためにはその人に「何かをしてあげる」わたしの中に「思いやり」がなければなりません。そうでないと、その行いは「ただしてあげた」だけになってしまいかねません。「思いやり」とは、相手の立場や思いや、状況などに細かく心を配らせていただくということです。
 「悲」の実践をしていくためには相手の「今」の姿を「ありのまま」に正しく受け止めてあげられる感受性がなくてはなりません。世間でよくいわれる「聞き上手」とは、この感受性の強い人が親身になって相手の話しに聞き入られた時の姿をいうのではないか、と思っています。

 そして、わたしたちが本当の「聞き上手」になれたら、きっとわたしたちは「自分の無力」さを痛感するはずです。その時、中山身語正宗の信心では、「自分がいかに無力であっても、仏様はその人に対して善巧方便(ぜんぎょうほうべん)を巡らして、みごとな助かりの道を授けて下さることを知っていますので、心底から仏様にすがりきって、『この方に何と話してあげたらいいのですか。何をしてあげたらいいのですか教えて下さい』と願えるはずです」。そして、わたしたちが心底み仏にすがりきれるために必要なものが、中山身語正宗では「お行」だといわれるのです。

 「お行」とは、「仏に向かって行くことだ」という宗祖上人のおことばがあるように、日々の行願を通してわたしたちは着実にみ仏に向かってすがらせていただく大切さを身につけさせていただけます。
 ですから、わたしたちは「日々に積ませていただくお行」と「思いやり」の心とを自分のものにすることで「慈」「悲」の実践者への礎(いしずえ)づくりができるのです。

こすもす 283号より


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