平成18年・バックナンバー

平成18年12月
あなたが、あなたの「いのち」を生きること [5]

 「自分を見つめ直せ」とか、「ありのまま」を「ありのままに見よ」と仏教においていわれる本当の意味というのは何だったのでしょうか。そして、「身語正」という仏教の信心(法門)では、それをどのように具体化して実践しようとしているのでしょうか。


〈おじひ〉によって確信を得る、わが「いのち」の生き方
 仏教という信心は、世界の創造者であり支配者である唯一絶対の神を立てるキリスト教のような宗教とは随分性格を異にする宗教です。
 では、キリスト教のような宗教と仏教との際立った違いとは、どんな点なのでしょうか。
世界の創造者であり支配者である唯一絶対の神を立てる宗教では、すべてのことは「神から始まる」という形で説明することができます。しかし、仏教ではそのような「神」を立てません。そのため、すべてのことを説明できる「唯一絶対の原点」がないのです。そこで仏教では、「今」の「ありのまま」を出発点にすることになります。なぜなら「今」の「ありのまま」は、だれもが否定ができないからです。

 前回お話しした「自分を見つめ直しなさい」とか、仏教でよく説かれる「ありのまま」を「ありのまま見る」とかいうことばは、仏教のこうした基本姿勢と密接に結びついていたのです。
 あなたがあなたの「いのち」を生きるということは、一体どういうことであったのかを考えようとする本シリーズの「基本」も、実はここに置かれねばなりません。なぜなら、それが仏教の基本姿勢だからです。

 では、「自分を見つめ直し」、「ありのまま」を「ありのままに見る」とは、わたしたちがどのようにすることなのでしょうか。たとえば、現実のわたしは、「今」ここにこんな姿で存在しています。そのわたしを「ありのまま」見つめ直して見ると「素直にそのまんまを受け入れられる」ところと、「そのまんまを素直に受け入れたくない」と思ってしまう部分とが実際にあることに気づきます。そのため多くの人々は、「プラス思考」になったり「マイナス思考」になったりして、その二つの部分を「ありのまま」に受け入れるのではなく、自分の考え方に従ってゆがめてしまっているのが現実のようです。その結果、積極的に自分のいい面だけを見る。悪い面は見ないように目をふさぐ、といったことをしてしまうのです。

 実は、仏教では「そうしたわたしたちの姿勢が問題なのだよ」と指摘してくれるのです。
 「身語正」という仏教の信心(法門)では、それを「今、現在」のあなたの「足下」をしっかりと見つめて、その「足下」からの実践を通して考えるようにしなさい、というのです。その上で、「今」を一つの結果だと見るなら、こうした結果が現われ出るには、必ず「しかるべき原因」があなたの過去にあったはずだから、それを正しくつかみ直してみることだ、と教えてくれます。そして、み仏はそれを明らかにするためにわたしたちのために〈おじひ〉を通して様々なことを教えて下さるのです。

 〈おじひ〉を通して教えていただくことは、不思議なくらいにわたしの胸に「得心」を与えてくれます。そして、その得心がしっかりと腹の底に落し込まれた時、わたしたちはそこから「今の自分のなすべきこと」への確信を得ることができます。
 こんな方法で、わたしがわたしの「いのち」をいかに生きたらいいのかを確信して生きていけるようになる。ここに大きな特徴があります。

こすもす 281号より


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