平成18年・バックナンバー

平成18年9月
あなたが、あなたの「いのち」を生きること [2]

 わたしたちが自分の「いのち」を生きる二つの意味を通して、仏教における「いのち」の生き方、中山身語正宗の信心を通しての「いのち」生き方について学び始めることにしましょう。
 今回は、その出発点に立ってのおはなしです。ご一緒に考えてみて下さい。


「縁起」という仏教の基本的なものの見方・考え方
 わたしたちが、自分の「いのち」を生きると言う時、そこには二つの意味が考えられています。すなわち[1]自分の「いのち(生命)」をいかに生き永らえさせようとしているのか[2]わたしは、わたしの「いのち」をどのように生きるのかと問いかけ、そこにどんな「生きがい」を見い出そうとしているのかがそれです。

 [1]は「いのち(生命)」の生き永らえさせ方を問題にし、そこでは、生活の手段や経済、医学等の問題が問われます。それに対して[2]では、「生き方」や「生きがい」が問われ、その土台となる「ものの見方、考え方」が問題とされます。

 宗祖覚恵上人は、こう教え諭して下さいました。
 「ただ食べて、寝て、泣いて、笑うてこの世を発って行くだけならば、他の生き物と変わるところはない。人間として生まれてきた所詮(目的)は、『真実ご法のおみのりを授かる』ことにあり」と。この宗祖上人のおことばは、人間にとって[1]だけに終始する生き方では不十分で、真実の[2]を求めてこそ、人間が本当の人間として、その「いのち」を全うできる、ということです。そして、宗祖上人は、信仰する人間として、それを「真実ご法のおみのりを授かること」としておさえられたのです。

 仏教という信心は、「さとり」を求める信心であり、最高の人格完成として、自らが「仏(覚者、すなわち、さとりを実現した人)」となることを目的とする、といわれます。そして、2500年にわたる仏教の歴史を通して多くの修行者が「さとり」とは、「仏とは」と問いかけ、それぞれに答えをならべて、人々に一つの生き方を提示してきました。

 わたしたちは「今」、中山身語正宗という仏教の信心に結縁し、中山身語正宗として示していただく信仰者の「あるべき姿」を学び、それを自分のこととして「生きたい」と考えています。

 では、仏教における最も基本的な「ものの見方、考え方」とは何だったのでしょうか。それは「縁起」と呼ばれるものの見方、考え方です。
 全ての物事(あるいは精神的な働きまで含め)は種々の因(原因・直接原因)や縁(条件・間接原因)によって生じるという考え方です。

 この考え方は、わたしたちの日々の生活の仕方として、まずは「ありのままをありのままに見よ」と教えてくれます。そして、その結果「ありのまま」に見えてきた現実(という結果)には、必ずしかるべき原因(因と縁)があったはずだから、それを見極めよ、と教えてくれます。そして、しかるべき原因(因と縁)が確定されたら、それを踏まえて、次の結果に向かって「今、なにをなすべきか」を正しく見極めて行動せよと教えてくれるのです。

 わたしたちが常にこうゆう姿勢を冷静に保ち得たら、その都度行う自分の行為に対して「十分に満足できる」生き方が保てるだろうと教えてくれます。では、中山身語正宗の信心では、仏教のこの最も基本的なものの見方から現われ出る行いを、どのようなものとしてわたしたちに示していただくのでしょうか。

こすもす 278号より


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