身語正の実践
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「感謝運動」の実践 「宗祖のご本願」をめざした「身語正」信心の推進
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「身語正」のお行
「幸せに生きる」ために“お行”をする

 すべての宗教は、方法や形は異なるものの、また呼び名こそ違え修行を通して神仏の心を授かり、自他共に幸せになる生き方を実現していきます。本宗においては、この修行のことを“お行”と呼びます。(また、“お行”をすることを“行じる”といいます)
 その「身語正」のお行の特色は、性別、年齢、身体的条件などにかかわらず、誰もが、その人に応じた“お行”を、いつでも、どこでもできるということです。
お堂


「お行」への取り組み 〜み仏との出会い〜
木  宗祖上人は、「お行とは、『み仏に向かって行くこと』それがお行である」と簡潔明瞭に示されました。
 さらに、宗祖上人は「聞き、読み、書き、想う信心は誰にでもできるが、『まことの信心は、お行によってみ仏からこころを授かること』。いただくも、いただかざるも、要はそなたの胸しだいなり」と述べられています。
 つまり、「頼む一念」という、ひたすらみ仏にすがりきる(帰依する)お行が大事であることを説かれています。「頼む一念」とは、伊達や飾り(外見を取りつくろうこと)を捨て、全身全霊をこめてみ仏にすがり、三歳児(みつご)、赤子のように(迷いや疑いなどの計らいを持たない素直で実直なようすで)清らかな心になるほどに行じていくことなのです。
 み仏は、「呼べばこそ来れ、来ればこそ呼べ」と、「頼む一念」で行じて、真(まこと)ですがるのであれば、私たち一人ひとりに間違いなく働きかけをしてくださるのです。


「行じる」 〜「お行」のすすめ〜
 み仏は「頼む一念」で行じる(お行する)者に、「身語正」(み仏のこころ)を授け、正しく導こうとされます。そのように、み仏の様々な働きかけを自らが感じ、ありがたいと実感できるからこそ、お行も喜んでできるのです。 本宗の「お行」は、次の3つに分けることができます。

「形の行」お行の基本
 お行は「形の行」、すなわち仏前におけるお行が基本です。わずかな時間でも毎日欠かさず努めることが大切です。この積み重ねによって道がひらいていくのです。
 具体的には、読経、念仏行、お瀧(瀧行)、おすがり、お百度、古四国巡拝などのお行があげられます。

拝む
 お行に取り組む心構えは、「信行一如(しんぎょういちにょ)(「信ずることと行じることは、不可分で一体の如し)と説かれます。つまり、「いくら信じていますといっても、実際に自分自身がお行をしないなら、信じているとはいえない。
 いかにお行をしていても、心の中に不足不満を持ち、み仏を信じきれないお行は、お行をしているとはいえない」ということです。信じるには、み仏を前にして「素直になること」、また、行じるには中途半端でなく「やりぬくこと」が必要です。


「心の行」み仏の心を授かる
 「頼む一念」のお行を積み重ねるうちに“み仏のこころ”に出会います。その時にわが身の姿を“み仏のこころ”に照らし合わせてみると、わが身の浅ましさ、愚かさ、不平不満の心に気づかずにはいられないのです。
 気づかないうちは直しようもありませんが、自分の欠点に気づいてみれば、そのことが自分自身を不幸にしている原因になっていることが、よく分かってくるのです。
 お行は、ただ、すればよいのではなく、お行を実践することによって、み仏からその時々のわが身の姿に気づかせていただくことが大切なのです。

石仏


お寺のイメージ

「菩薩の浄行(じょうぎょう)」日々の生活の中のお行
 私たちの日々の仕事、家事、学業などの日常の生活もみ仏から授けていただいたお行として受けとめて取り組む時には、それが「菩薩の浄行」という大切なお行になるのです。
 それは、日常生活の中にみ仏のこころを常に生かして日暮らしをするということです。人生のすべての出会いやご縁を、み仏のこころと受け止めて、わが身の姿を振り返りながら感謝の心を持って、日々精進努力することが、身語正の信心をする者の尊い姿なのです。


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