中山身語正宗のあゆみ
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「宗祖覚恵上人」略伝
[10]常在説法・ご示寂、永遠なる身語正の鏡鑑(きょうかん)
 「根本大悲の親」に託された身語正の立教と、世界のはしばしまで布教教化していくことを自らの使命として、み仏にすべてを捧げてきた覚恵上人もこの世での大役を終えようとしていました。昭和16年12月8日、日本は太平洋戦争(第2次世界大戦)に突入します。その年の瀬に、覚恵上人は、風邪をこじらせ肺炎を患います。昭和17年1月5日、覚恵上人は身語正の真髄を授け終わった後継者の覚照を枕元に呼び、最後のことばを残されます。
 「信仰というものは、学問に頼ってはいかん。また、人を頼りにしてもいかん。信仰というものは、仏様を目あてにぶつかっていくことが根本ばい。これは、決して忘れちゃいかん」
 午前10時20分、覚恵上人は本宗の根本所依の聖典「御座文(おざもん)」を家族と共に唱えながら、しんしんと雪の降り積もる大本山瀧光徳寺で、その72年の生涯を閉じられます。

 昭和20年8月15日、日本は敗戦を迎えます。悲惨な戦争を終えて国民は国土再建に立ち上がります。昭和21年6月21日、前年に公布された宗教法人令により、本宗は名実共に「中山身語正宗」として立宗します。覚恵上人の悲願はここに寂を示されて4年、後継者の覚照によって成しとげられることになります。同年11月、日本国憲法が公布され、信教の自由が憲法で保障されます。そして、昭和26年には宗教法人法が公布され、翌年の昭和27年7月5日、「中山身語正宗」は包括宗教法人の認証を正式に受けます。


宗祖のご示寂の地を示す石碑(大本堂前)
宗祖のご示寂の地を示す石碑(大本堂前)

 大正元年2月18日、根本大悲の親によって本宗の立教と布教を託されて以来、「頼む一念」の行願を積み、み仏の授けられるままを世にあらわしてこられた宗祖覚恵上人…そのお姿は、寂を示されたのちも、身語正信心のまさに鏡鑑(お手本)となるものでした。
 また、宗祖覚恵上人のなしえた偉業があったればこそ、本宗は着実に発展することになります。


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